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戦争を考えるためにオススメの本 3冊(大人向け)

あの時代、市民に何が起きたのか?

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 8月15日は終戦の日です。
 あの日、人々は「日本が太平洋戦争に敗けた」という事実を知ることになりました。
 あれから75年、メディアは変わらず戦争の悲惨さを訴えています。それでも、いったい何がどう「悲惨」だったのか・いまの自分にどう関係があるのか、考えるのは容易ではありません。
 それは、戦争を生きた世代が次々と旅立ち、残された私たちはもう記録によってしか当時を知ることができないからです。
 一体なにが起きたのか。国ではなく・・・・市民が・・・経験した戦争とは何だったのか。これを理解するのに役立つ本を3冊ご紹介します。

1.『戦中・戦後の暮しの記録』

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『戦中・戦後の暮しの記録 
 君と、これから生まれてくる君へ

暮しの手帖社、2018年

食べ物がない、衣類がない、あらゆる物資がない。それでも国債だけは隣組に割当で買わされた。*1

一般のひとびとの記録

 暮しの手帖社に寄せられた2000編以上もの手記を編纂したものです。書いたのは、どれも一般の方々です。
 日本で終戦を迎えた人、命からがら日本に引き揚げてきた人…じつに様々な人達の「戦争」が、これ以上ないほど生々しく綴られています。
 戦後のほうが酷かったとさえ言われる食糧難も克明に記されており、当時の切迫感を今に伝えます。形骸化した配給制度のもと、人々は法律違反の「ヤミ米」を買わねば生きてゆけないというギリギリの生活を営んでいました。

 

生々しい証言のかずかず

 特に印象的だったのは、満州から子ども4人を抱えて逃げてきた女性の話です*2。「二歳の子は生きられない、置いていきなさい*3」と言われながらの引き揚げは、どんなに過酷だったでしょうか。
 また、別の女性は夫が招集される不安の日々にあっても「絵日記」を書き続けました。空襲の中、どうやって?と思うほど端正な筆遣いには、記録をすることでどうにか自分を保とうという執念すら感じます*4。みな時代の圧力に押しつぶされそうになりつつも、必死でそれぞれのあり方を守ろうとしたのです。
 具体的な記録のかずかずは、資料としてもたいへん貴重です。執筆者、編集者の皆さんには敬意を抱かずにはいられません。

 

2.『あの日のオルガン』

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久保つぎこ著
『あの日のオルガン 疎開保育園物語』
朝日新聞出版、2018年

「極限」というものが、こんなに果てしなく、こんなに重苦しく、こんなにも先が見えないものだとは、私はあの時、思わなかったのだ。ばかだった。ばかだったんだ。*5

悲壮な挑戦の記録

 しわ寄せが行くのはいつも弱者だ…というのはよく聞かれる言葉です。ただ、保育園に通うような小さな子どもたちについて、当時の事情を知る術は多くありません。
 その中で、この本は「保育園のまるごと疎開」という途方もないプロジェクトの顛末を記した稀有な資料です。同時に、悲惨というほかない状況に身を投じた女性たちの記録でもあります。
 上に挙げたのは、24時間保育のあまりの辛さに、仕事を引き受けたことを後悔した彼女たちの心の叫びです。「二十歳そこそこの若い保母たち*6」は、大切な青春を奪われてしまいました。
(関連記事:【書評】葛藤と融和の記録。『あの日のオルガン 疎開保育園物語』

危機のなか、どうやって子どもを守れるか?

 非常事態では、行政をあてにすることなどできません。個々人の思い切った決断や、それを支えようとする周囲の力だけが頼りです。そして、こうした場合には、その場にいる全員が命の綱渡りを強いられています。余裕のある人など、一人もいません。
 そういうものにしか頼ることのできない闘いとはどういうものか、この本は考えさせてくれます。当時の子どもたちの写真や親たちの回想録が、ストーリーに一層深みを与えます。
 子どもを持つ人には、一度は読んでもらいたい本です。

 

3.『エルサレムのアイヒマン』

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ハンナ・アーレント著、大久保和郎訳
『エルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』[新版]
みすず書房、2017年

政治においては服従と支持は同じものなのだ。*7

思考をやめることの恐ろしさ

  「ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)」の現場を指揮した人物、アードルフ・アイヒマンの裁判傍聴レポートです。著者であるハンナ・アーレントは政治哲学者であり、みずからもユダヤ人として逮捕や二度にわたる亡命を生き延びた人でした。
 組織で働くものが「1人の人間」として思考するのをやめてしまった時、一体何が起きるのか。これがこの本の核心であり、同時に私たちに放たれる強烈な問いかけです。

 

「私たちの責任」は、いったい誰の責任?

 またアーレントの追及は、私たちが「私たち・・」という複数形で責任を語る時におちいる罠にまで迫ってきます。
 これは本書の『追記』で言及されていますが、新型コロナなどの社会現象を考えるうえでとても重要な部分です。ここでは身近な事柄に置き換えて考えてみたいと思います。
 たとえば、さまざまな社会問題について「私たち人類の責任」という表現がよく使われます。この言葉には、確かに「自分も責任の一端を担っている」という響きがあります。
 しかし一方で、この表現は真逆のメッセージにもなりかねません。というのは、逃げ場のない責任主体として一人ひとりを位置づけ、個々に行動を求めているわけではないからです。そのため、具体的な行動を起こす気になりづらいという部分が否めません。「みんなが責任を担っている。ならば、別に私が行動する必要はない。他の誰かに任せればよい」ということです。

 

言葉に踊らされないために

 ただ、ここに落とし穴があります。表現上ではいかようにも言えますが、結局どんな人も「いち個人」としてしか責任を負えないからです。
 その意味でハンナ・アーレントの論考には、言葉が作り出す幻想や、それに盲目的に従ってしまうことの怖さを考えさせられます。
 ホロコーストは第二次大戦中の出来事ではありますが、戦争そのものの大義とは直接関係がありません。ただ、戦争をはじめとする国家レベルの出来事と市民との関係を考えるうえで、大いに参考になるはずです。

 

最後に

無謀だった戦争

 今回は、戦争について考えるための3冊をご紹介しました。
 『戦中・戦後の暮しの記録』と『あの日のオルガン』はとても読みやすく、また『エルサレムのアイヒマン』は哲学や世界史に興味のある方には面白く感じられることでしょう。
 さて、戦争とは一体何だったのでしょうか。
 領土や資源をめぐる争い、という国どうしの都合は当然あるとして、しかし実際に市民が直面したのは食べものが無いという限界状況でした。それは『戦中・戦後の~』でもはっきり示されています。
 そして、そうした状況が予見できたであろう中、しかも事前に敗戦のシミュレーションがあったとさえ言われるにも関わらず*8、日本の上層部は戦争を始めました。

 

いま戦争を考える意味

 どんなに勇ましい言葉を並べても、食べものが無いという事実は美化も脚色もできません。そして、食べものがなければ、ひとは命を失います。
 そんな状況を作ったのは誰だったのでしょうか?「国」でしょうか?「国」とは一体何で、どんなもの・・・・・で出来ているのでしょうか?ユダヤ人自身がホロコーストに関わっていた事実を公然と批判したハンナ・アーレントなら、一体どう言うでしょうか?
 異常事態の中にある今、責任ある大人として75年前を振り返る必要を感じます。

 

※写真は出版社のご承諾のもと、掲載しております。

*1:岡本春子さん「窮乏生活の実態」より。『戦中・戦後の暮しの記録』p.109。

*2:添岡睦雄さん「親子丼ひとつ」。上掲書p.34-36。

*3:同上p.36。

*4:「松本愛さんの戦中絵日記」。上掲書p.137-152

*5:『あの日のオルガン』p.215。

*6:上掲書、p.190

*7:『エルサレムのアイヒマン』p.384。

*8:猪瀬直樹著(2010)『昭和16年夏の敗戦』中公文庫参照。