オーガニックで、ミニマルに。

有機にこだわる主婦の、食べること、暮らすこと、選ぶこと、守ること。

政治は、生活そのものです。子供がのびのび生きられる社会のために。

選挙が終わりましたね。皆さん、お疲れ様でした。

子育てや介護中の方、病気の方…色々な状況の中で、投票日を迎えられたことと思います。事情があって、家で見守った方もいるでしょう。それでも、皆さんの理想とする社会に、一歩でも近付いたでしょうか。

 

昨日、私も主人と子供の3人で行ってきました。前回(4月)の統一地方選挙の際は、たしか桜が咲いていて、まだ首も座らない子供を抱っこして花を見せてやったものです。

今回は、夏。だから、公園にはセミの抜け殻や、地面には幼虫の這い出した穴がちらほら。やっと一人座りができるようになったこの子も、来年の今頃は、一人で歩いて抜け殻を拾ってくるかもしれません。成長が楽しみです。

 

そんなことを思いながら投票所に向かうと、赤ちゃん連れのカップルと何組もすれ違いました。また、小学生ぐらいの子供を連れた3世代家族も。それを見て、私はとてもうれしくなりました。

私が子供の頃、「選挙」はまるで大人の特権のように見えました。親は黙って出かけ、私はお留守番。まるで「神聖な儀式だ、子供は口出しするな」と言われているようで、政治についての質問すら躊躇ってしまうほど。それぐらい、幼少時の私にとっては生活と切り離されたものだったのです。

そんな調子だったせいか、大人になっても政治を真剣に考えることができませんでした。むしろ、政治から一定の距離を置くことがカッコイイかのような錯覚を抱いていたのです。

でも実際は、政治と生活は不可分なもの。私達の生活のあらゆる側面、どんなに些細な物事も、国の定めたルールに則っています。そして、そのルール作りこそ国会の役割であり、そこに集って議論するのが国会議員。だから本来は、おうちでの政治の話に子供が参加したり、一緒に投票に行ったりするのがごく自然だと思うのです。子供連れの家族を見て嬉しくなったのも、そういった理由からでした。

 

そして、もう一つ。

「生身の感覚」で政治を捉えなきゃいけないよなぁ、と今回改めて感じました。 

 政治家は、よく「大義名分」を口にします。そして、私達は「仕方ない、ガマンが当たり前」と思いこんでしまう。消費税であれ、規制緩和であれ、いつもそうでした。

でも、ふと思うのです。その政策は、私達のリアルな生活、日々主婦として直面する実際の苦しみをどれだけ考慮しているのだろうか?と。

 

物事には、マクロとミクロの両方の視点が必要です。例えば、政治なら…

  • マクロ――外交、国際関係、地球レベルの環境etc.
  • ミクロ――買い物、子育て、仕事、健康etc.

よく大義名分に使われるのは、マクロのほう。でも、一般市民にとってより深刻なのはミクロのほうであり、その視点が欠けたままで政治家の言い分に納得してしまうと、後々苦しむのは自分自身です。

そして、その最たるものが「お国のため」と言って大事な我が子を戦地に送らざるを得なかった1940年代の主婦たちであり、全てが終わってから「当時の空気では抗えなかった」と振り返るしかない市民の姿なのです。

古くから、男性が政治の中心だった日本。私は、男女に優劣があるとは思いませんし、同じ性別でも特性の差はありますが、子育てや家庭の経済という役割が(好むと好まざるとに関わらず)女性に偏ってきた以上、そういったミクロな視点では男性よりも女性のほうが勝っているように思います。だから、女性が黙っていれば、政治はマクロ視点優位で進んでしまう気がしてなりません。

私は、これを避けるために政治に必要なのは「生身の感覚」であり、それを可能にするのは私達ふつうの主婦による言論だと思うのです。

SNSでも、ブログでも、井戸端会議でもいい。とにかく、声を上げなければ、と。

選挙を終えて、私はこんな危機感を新たにしました。

 

次の選挙は、衆院選になるでしょう。それまでにどう世の中が動くか分かりませんが、少しずつでも良くなることを期待しています。 

大事な我が子が、自由で幸せな人生を歩める。そんな環境を作っていけますように。